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歴史探訪 ワコール創立時からの歴史に学ぶ

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ブラは独身御用達

それにしても、年配とはいえ、なぜ女性からも痛烈な批判が寄せられたのだろう?
それもそのはずで、1950年代後半の当時、ブラジャーを着用していたのは20歳前後の独身女性が中心であり、より高い年齢層には普及していなかったのだ。後年の1964年の出版になるが、『ビーナスを生む企業 ワコール』(フジインターナショナル)に掲載された座談会では、ブラジャーについて次のような発言がある。

「日本の場合、若いときはつけていても、結婚するとつけないようですけれど」
「外国の場合は、(結婚された)奥さんの方が種類も多く使ってます。というのは形のくずれやすいときだから。かえって良いものを使うわけですね」
「それが日本だと反対で、若いときは熱心で、お嫁にいくとやめちゃう」
「ありますね。でも家にいるときはセーターなんかが多いんですから、ほんとうはブラジャーをつけてないとダメですね」

現代からみると驚きだが、50年代から60年代前半当時は、まだブラジャーは婚前の女性の身だしなみであって、「結婚するといらなくなる」ものだったのだ。その2年後の1966(昭和41)年3月に発表された『長期需要動向調査結果報告書(ファンデーション・ガーメント)』を開いてみよう。東京・秋田・岡山の三地域に在住の10代から60代の女性552名を調査した結果だ。

【当時のブラジャーの保有状況】

【当時のブラジャーの保有状況】

出所:『長期需要動向調査結果報告書
(ファンデーション・ガーメント)』1966年3月

このように、20代からは年齢が上がるに従って、ほぼ直線的に減少している。40代以上でブラジャーを持っている人は、まだ半数以下なのだ。

また、未婚者と既婚者を比較してみると、未婚者は80%が保有しているのに対して既婚者は47%と少ない。
地域差も大きい。ブラジャーを持っている人の率は、東京では74%、岡山は39%、秋田は31%にとどまる。東京オリンピックが開催された1964年の翌年あたり、という時期において、ブラジャーの普及率はその程度だったのだ。

だから鴨居羊子が『下着ぶんか論』を上梓した1958年当時、前衛的とも評される鴨居の下着に対して、30代以上の年齢層の女性たちの理解が薄かったとしても不思議ではないだろう。既婚女性にとって、ブラジャーすら日常的に着けない人がむしろ多数派だったのであり、そのため、鴨居羊子の下着に対する熱意に共感する土台が十分でなかったと想像される。

では、ブラジャーが全国的に普及して、消費のピークを迎えたのはいつごろだろうか。『日本洋装下着の歴史』(日本ボディファッション協会編1987)によると、それまで右肩上がりをつづけてきた業界の年間販売枚数が、1975(昭和50)年に6000万枚を記録して、翌年に初めて降下したことをもって「下着業界が低成長時代に入った」としている。この1975年をもって市場がいったん飽和し、作れば売れるという時代は終わったと考えられるだろう。戦後の洋装下着の国内への普及は、現代の感覚からみると、かなりゆっくりしているように見える。ワコールがはじめてブラジャーの工場生産を開始した1950年以来25年、なんと四半世紀をかけて、全国津々浦々の、あらゆる年代の女性に行き渡っていったわけだ。

さて、鴨居羊子の下着がデザインや感性で一世を風靡する一方、ワコールは下着のフィット感や体型補正機能を充実させ、洋服のために美しくスタイルを作る下着をアピールした。科学的な分析力を重視して、ブラジャーのサイズ設定や、より体型に合ったパターン(型紙)の開発に注力している。下着ブームのさなか、50年代後半の時期は、米国の大手下着メーカーの外注先として、日本国内の縫製工場がアメリカ向けの輸出ブラジャーをもっぱら生産していた。そういった工場から優れた米国製品の型紙データ等を苦心して入手するなどして、より機能性の高い製品を生み出していった。あくまで機能性にこだわって、鴨居羊子の下着のような、ながめて、着て、楽しむ下着とは正反対の道を歩んだように見える。しかし必ずしもそうではなかった。


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